数のこだわりはいらない
若い頃は、今までどれだけのパートナーと過ごしたか、
その数が多過ぎても、少な過ぎても、気になっていた人が多いのではないだろうか。
多過ぎれば、堪え性が無くて次から次へと相手を変えているように見えるし、
少な過ぎれば、自分に魅力が無くて、出会えなかったようにも見える。
でも、もちろん恋愛は数じゃない。
どれだけ、相手と深く通じあおうとしたのか、そのプロセスが大切だと感じる。
そこで確かに堪え性がなかったら、どんなにモテても、その後も若い頃特有のわがままを持ち合わせた大人になるだろうし、
自分の魅力に自信が無いまま、誰とも付き合わないでいたら、それもそれでいつまでたっても本当の意味で自分を受け入れて他人を受け入れることが難しくなるのかもしれない。
異性を理解するため、自分以外の人を理解するためなどに
一人の人を深く理解しようとすることで、その他大勢の日頃関わるいろんな人のいろんな気持ちが見えて来るのではないだろうか?
大勢の気持ち全てをいきなり理解することはできないし、
一人の気持ちを知ったからといって、他の全ての人が同じ思考で有るはずもない。
ただ、人とは自分とこんなにも違い、また、自分以外の人の知恵を借りて二人とは違うまた別の人を理解していく。
そうやって、自分以外の人の気持ちを理解し、受け入れたり、自分との相違点を知り、そういう人の存在を認めていくのだと思う。
一人は全てのために、全ては一人のために。
自分以外の人の気持ちを知り、自分を知っていく。
数は単なる問題を解くための練習数。
一人の人でも、何度も何度も同じ問題を丁寧に解いて行けば、それだけ理解が深まるのである。